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神戸地方裁判所 昭和52年(行ウ)34号 判決

原告 塚本寿一

被告 兵庫県知事

主文

本件訴え中、被告が原告に対し昭和五一年八月二八日付でなした特別弔慰金支給請求の却下処分の取消を求める部分を却下する。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主位的請求

(一) 被告が原告に対し、昭和五一年八月二八日付でなした戦没者等の遺族に対する特別弔慰金支給請求の却下処分を取り消す。

(二) 被告が原告に対し、昭和五二年一一月三〇日付でなした戦没者等の遺族に対する特別弔慰金支給請求の却下処分を取り消す。

(三) 訴訟費用は被告の負担とする。

2  予備的請求(前記1(一)の主位的請求についてのもの)

被告は原告に対し、金一〇〇〇円及びこれに対する昭和五二年一二月二三日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

右第一項につき仮執行宣言。

二  被告の申立てた裁判

1  本案前の申立

主文第一、第三項同旨。

2  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行免脱宣言の申立

仮に予備的請求が認容され仮執行の宣言が付されるときは、担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告の亡父塚本謙一(以下謙一という。)は、陸軍の第二軍司令部陸軍技手として勤務中、マラリヤ兼脚気にかかり、昭和一九年一一月八日、西部ニユーギニア・ヤカチ方面で戦病死した。

2  右当時、謙一の妻寿子、長男原告、長女浩子、養母いつが生存したが、妻寿子は昭和二一年一二月二八日去籍により、長女浩子は昭和二三年三月三一日遺族ではない足立進、同靖子と養子縁組により、長男原告は昭和三三年三月三日成年に達しかつ不具廃疾の状況になかつたため、養母いつは昭和四三年一月一〇日死亡により、いずれも恩給法による遺族扶助料の受給権を喪失した。

3  戦没者等の遺族に対する特別弔慰金支給法(昭和四〇年六月一日法律第一〇〇号。ただし昭和四七年法律第三九号による改正後のもの。以下旧支給法という。)三条は、戦没者等の遺族に対し特別弔慰金を支給する旨定めている。右の「戦没者等の遺族」とは、「死亡した者の死亡に関し、昭和四七年四月一日までに戦傷病者戦没者遺族等援護法(昭和二七年法律第一二七号。以下援護法という。)による弔慰金を受ける権利を取得した者で、同日において日本の国籍を有している者」をいう(旧支給法二条)。そして、昭和三九年法律第一五九号による改正前の援護法三四条一項は、「昭和一二年七月七日以後における在職期間内に、公務上負傷し、又は疾病にかかり、これにより、昭和一六年一二月八日以後において死亡した軍人軍属(中略)の遺族には、弔慰のため、弔慰金を支給する。」旨定めている。

4  そこで、原告は、昭和五〇年一月二七日、被告に対し、旧支給法三条に定める特別弔慰金として金三万円の交付国債の支給を請求したところ、被告は原告に対し、昭和五一年八月二八日付で、謙一の死亡に関し、継母いつが昭和四三年一月一〇日その死亡に至るまでの間、文官扶助料を受給していたため、原告には援護法に定める弔慰金の受給権がないとの理由で、前記請求を却下し(以下これを第一次却下処分という。)、右処分の通知は昭和五一年九月二一日原告に到達した。

原告は、同年一〇月二七日、これを不服として厚生大臣に審査請求をしたところ、昭和五二年八月一日、同大臣は棄却の裁決をし、同年九月一四日、原告にその旨通知した。

5  原告は、謙一の遺族として、昭和五〇年一一月一八日、戦没者等の遺族に対する特別弔慰金支給法(ただし昭和五〇年法律第一〇号による改正後のもの。以下新支給法という。)三条にもとづき、新たに特別弔慰金の支給を請求したところ、被告は原告に対し、昭和五二年一一月三〇日、前同様の理由で、前記請求を却下し(以下これを第二次却下処分という。)、右処分の通知は同年一二月二四日原告に到達した。

原告は、同月二九日、これを不服として厚生大臣に審査請求をしたところ、三か月以上経過した現在に至るも裁決がない。

6  なるほど、被告が第一、二次却下処分の理由とするとおり、新旧両支給法が特別弔慰金の受給権者であると定める援護法所定の弔慰金の受給権者からは、前記の遺族のうち一部の者が除外されている。即ち、「旧恩給法の特例に関する件」(昭和二一年勅令第六八号。以下「昭和二一年勅令六八号」という。)一条に規定する内閣総理大臣の定める者―「昭和二一年勅令第六八号施行に関する件」(昭和二一年二月二日閣令第四号。以下「昭和二一年閣令四号」という。)一条によれば、「(1)陸軍又は海軍の警部、監獄看守長、警査、巡査又は監獄看守以外の判任官、(第二、三号省略)、(4)第一号の者で各庁職員優遇令により奏任官となつた者又は退官もしくは死亡に際し奏任官となつた者」をいう。―に関しては、その者の遺族がその者の死亡に関し、恩給法七五条一項二号に掲げる公務扶助料を受ける権利を取得した場合には、弔慰金は支給されない(昭和三九年法律第一五九号による改正前の援護法三四条四項、同法改正法律附則二条三項)ため、これに該当する者には特別弔慰金も支給されない。

そして謙一は、前記のとおり戦病死したことにより陸軍技師として奏任官となつたので、その遺族である同人の妻寿子、長男原告、継母いつは、昭和一九年一二月から恩給法七五条一項二号により文官公務扶助料を受給していたから、原告には特別弔慰金の受給権がないことになる。

7  しかしながら、援護法三四条四項が前記の遺族に弔慰金を支給しない旨定め、同じ状況下にある戦没者を差別していることには、なんら合理的理由はないから、右規定及びこれを引用する新旧両支給法二、三条の規定は、この限りでは日本国憲法一四条一項に違反する。

被告は右のように公務扶助料の受給権を取得した遺族がある場合を弔慰金の支給対象から除外したのは、前記のとおりの内閣総理大臣の定める者は、昭和二一年勅令六八号により恩給停止の例外とされ、その遺族に対し引き続き恩給が支給されたことから、公務扶助料の支給により、戦没者の遺族に対する国としての弔慰は既になされているためである旨主張する。

しかし、右勅令の規定する恩給停止の例外は、なんら戦没者に対する弔慰の意味を有するものではない。連合軍としては、戦争目的遂行に直接従事した者に対して従前の如く恩給の支給を認めることは、日本国の戦争行為をあたかも肯認するが如き結果となり、その占領目的の遂行に支障をきたすと考えたため、当時の政府に命じて右勅令を発せしめたものにすぎず、このような意図から出た恩給停止に対する例外は、戦没者の弔慰とは何の関係もない。恩給の性格については、現在においては社会保障の一環と把握すべきものであるが、往時には、公務員が公務に従事したことにより他の職務につくことができなかつたことに対する損失填補と考えられていた如くである。いずれにしても、文官恩給(扶助料)が戦没者に対する弔慰を意味することはない。

戦争公務による公的年金給付については、各制度とも一般公的年金給付より比較的高額になつているが、これは、国家補償の精神に基づく慰藉料的要素が含まれているからである。軍命令により戦地等に駆り出され、強制的に戦争遂行に協力させられ、酷烈な環境下で生命の危険にさらされつつ、公務に従事し、これに起因して死亡し又は傷害を受けた軍人軍属等は、まさに最大の戦争犠牲者であり、これら戦没者の遺族及び戦傷病者に対する戦争公務による公的年金給付は、右のような災禍を受けることなく老後に至つた軍人又は文官に対して支給される普通恩給その他の公的年金給付と本質的な相違がある。即ち、前者は国家補償の性格が強く、殊に、階級の低い者にかかる公務扶助料はその全部が国家補償とみなすのが妥当であると考えられるのに対し、後者は社会保障の一環である。そして、戦争公務による公的年金給付が一般にこのような性格のものであるから、このような酷烈な環境下において、軍命令に従事し、そのため生命を失つた者の遺族に対しては、国としてはすべてを全く同様に取り扱い同じく弔慰の意を表すべきものである。

そもそも支給法の立法趣旨は、次のとおりである。過ぐる大戦においては、多数の軍人軍属、準軍属が戦闘その他の公務等のため死亡した。今日わが国が戦前にも見なかつた繁栄の道をたどりつつあるにつけても思われるのは、これらとうとい犠牲となつた戦没者達であり、また肉親を失つた遺族の心情である。そこで、終戦二〇周年にあたる昭和四〇年に際し、国として弔慰のためこれら遺族に対し特別弔慰金を支給しようとするものである。さらに、終戦三〇周年にあたる昭和五〇年に際し、あらためて特別弔慰金を支給しようとするものである。このような支給法の立法過程において、ポツダム勅令により恩給の支給を停止された軍人軍属等と停止されなかつた軍人軍属等とを区別するような論議は、全くなされていない。してみると、両者を区別すべき合理的理由はない。

支給法制定の昭和四〇年当時は、昭和二八年の軍人恩給復活後既に一二年を経過し、本件請求の基準日である昭和四七年四月一日では一九年を経過している。のみならず、軍人恩給が一般に文官恩給より高額となつており、これは、戦争公務の激烈さもさることながら、その支給が停止されていたことも配慮されているものであるから、今日においては、軍人恩給停止による不利益は、既に回復している。したがつて、軍人恩給停止の有無によつて、特別弔慰金の支給の有無を決するのは、合理性を失つているといわなければならない。

以上主張するように、特別弔慰金は戦没者の遺族すべてに等しく支給されるべきものであるのに、新旧両支給法二、三条及びこれらが引用する援護法三四条四項は、戦没者の遺族を、恩給不停止者という社会的身分によつて、経済的に差別するものであり、右差別には合理的理由は全くないから、右各規定は憲法一四条一項に違反し無効であり、これに基づいてなされた第一、二次却下処分は取り消されるべきである。

8  仮に第一次却下処分の取消請求が理由がないとすれば、原告が旧支給法による特別弔慰金の請求をした前後において、厚生省や被告の指揮下にある宝塚市等は、日刊紙や市公報等において右特別弔慰金の請求を勧めていたが、これらにおいては、戦没者の遺族のうちには右特別弔慰金を受け得ない者があることを明示せず、また、申請受理事務を処理する宝塚市吏員に対しても、この点をなんら了知させていなかつた過失がある。

(一) 原告は、被告の右過失により、特別弔慰金の受給権があると信じたため、昭和四九年一二月ごろ宝塚市役所に赴き、そのため阪急電車宝塚、逆瀬川駅間往復運賃金八〇円を支出した。

(二) ついで、右市役所吏員の指示に基づき、宝塚市役所宝塚支所に赴き、原告の戸籍謄本の交付を受け、手数料金七〇円を支払い、かつ阪急バス宝塚、小浜駅間往復運賃金一二〇円を支出した。

(三) 母篠田寿子の再婚年月日を知るため大阪市北区役所に赴き、本籍同区堂島中二丁目一五番地戸主小原彦太郎の改製原戸籍の謄本の交付を受け、手数料金二一〇円を支払い、かつ阪急電車宝塚、梅田駅間往復運賃金二八〇円を支出した。

(四) 宝塚市役所に赴き、謙一並びに継母いつの除籍謄本を得るため、本籍宝塚市米谷字宮ノ西一番地戸主塚本益男の改製原戸籍謄本並びに本籍地同所筆頭者塚本益男の除籍謄本の交付を受け、手数料金四二〇円を支払い、かつ阪急電車宝塚、逆瀬川駅間往復運賃金八〇円を支出した。

(五) 謙一は、前記のとおり昭和一九年一一月八日に戦病死したとされてはいるが、昭和二一年夏ごろまで生死不明であつた。終戦後原告の母寿子が、復員して来る戦友達を探しまわり、ようやく既に死亡していたことが確認できたので、政府に申し出て始めて戦死公報が発せられたものである。無論遺骨も受け取つていない。氏名を印した板切れ一枚だけであつた。その後一家は散り散りとなり、原告は義祖母の手で成人したものである。この辛さと悲しさは言語に絶するものがある。小学生時代既に数回自殺や家出をはかつたことすらある。かような事実に対して、国家はいまだ何らの責任もとつてはおらない。しかるに今回あたかも弔慰のため特別弔慰金を支給するが如き立法をし、その請求書を提出させておきながら、前記の如く立法上の不備に基づく、理由にもならない規定を根拠として原告の請求を却下したものである。原告は、このことにより、当時の主権者である天皇の命令により戦地に赴いた父の死が、僅か三万円の弔慰金すら受け得ない哀れ窮まりないものであつたことを思い知らされ、更に深く傷つけられ、その怒りと悲しみは非常に大きなものであり、その精神的損害に対する慰籍料は、少なくとも金二三万円を下らない金額をもつて相当とする。

よつて原告は、第一次却下処分の取消請求が理由ないときには、以上のとおりの財産的損害に対する賠償請求権及び慰藉料請求権の一部請求として、金一〇〇〇円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和五二年一二月二三日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  本案前の抗弁

本訴における当初の主位的請求である第一次却下処分の取消を求める訴えは、行政事件訴訟法一四条四項により、右処分についての審査請求に対する裁決があつたことを知つた日を初日として、これを期間に算入してその出訴期間を起算すべきものである。そして、原告がした審査請求に対する裁決は、昭和五二年九月一四日原告に送達され、原告は同日右裁決があつたことを知つたものであるから、遅くとも同年一二月一三日までに前記訴えを提起すべきであつたのに、翌一四日に出訴しているから、右訴えは不適法である。

なお、第二次却下処分の取消を求める訴えは、昭和五三年四月一八日付訴え変更申立書により訴えの追加的変更の形で併合提起されたものであるが、行政事件訴訟法一九条一項にいう関連請求とは、同法一三条各号に該当する請求でなければならないのに、第二次却下処分の取消請求はこれにあたらない。即ち、右新請求が同法一三条一ないし五号にあたらないことは明白であり、六号にいう関連請求の意義は、右一ないし五号の事例から類推して判断すべきところ、同法は、別個の処分の間に処分の原因、内容、効力等の面で何らかのつながりがあつて、その結果、各処分の取消請求の併合審理が、事件の複雑化による訴訟遅延の弊害を少なくし却つて審理の重複、裁判の牴触を回避しうる利点がある場合に、請求の併合を許したものと解すべきである。したがつて、同法一九条は、単に当該処分に係る事実関係が同一であつても、当初処分とは別個独立の改正後の根拠法令に基づきその内容も効力も何ら関連性のない場合まで、関連請求となることを認めたものとは解されない。

これを本件についてみるに、第二次却下処分の対象となつた請求権は、新支給法三条に基づき新たに発生したものであり、当初の訴えに関する第一次却下処分に係る請求権は、旧支給法に基づくものであつて、その請求権発生の根拠、支給内容を異にし、後者の却下処分は前者の却下処分を前提とするものでもなく、後者の却下処分により前者の却下処分に何らの消長もきたすものではない。

このように、第一、二次却下処分の各取消請求は関連請求といえないので、第二次却下処分の取消請求の追加的訴えの変更は許容されないものというべきである。

三  請求の原因に対する認否

1  請求の原因第一ないし第六項の事実は認める。

2  同第七項の主張は争う。

特別弔慰金は、国が戦没者遺族に対し、改めて弔慰の誠をひれきするため、一定の日を基準として、恩給法七五条一項二号に規定する公務扶助料、援護法二三条一項一号に掲げる遺族年金その他これらに相当する給付を受ける権利を有する者がない戦没者等の遺族に支給されるものであるが、このように公務扶助料等の受給権を取得した遺族がある場合を除外したのは、昭和二一年閣令四号に定める者は、昭和二一年勅令六八号による恩給停止の例外とされ、その遺族に対し引き続き恩給が支給されたことから、公務扶助料の支給により戦没者の遺族に対する国としての弔慰は既になされていると考えられるからである。

3  同第八項の事実中、原告が特別弔慰金を請求したことは認める。宝塚市が厚生省や被告の指揮下にあるとの点及び被告に過失があるとの点は否認する。原告が請求書に添付する戸籍謄本の交付を受け、その他交通費等の支出をしたとの点は知らない。その余の点は否認する。

宝塚市は、その公報「広報たからづか」において数回にわたり、特別弔慰金の受給者は弔慰金の受給権者で公務扶助料の受給権者のいない遺族であることを明示して周知を図つていたほか、兵庫県においても、管内市町村の担当者や県の福祉事務所の担当者に対し、援護法や支給法の改正に伴う事務取扱いに関し説明会及び研修会を開催し、その際「改正事項並びに手続要領」と題する解説書を配布し、支給対象者の範囲の周知方につき十分意を用いてきたものであつて、被告には原告主張のような過失はない。

また、原告自身恩給法に基づく公務扶助料を受給しており、原告ら遺族が援護法による弔慰金を受給していないことを知つていたと考えられるから、原告においても、被告や市職員の説明等をまつまでもなく、支給法や関係法令をみることによりて特別弔慰金の受給権者の範囲を当然知りうる状況下にあつたものといえる。してみると、原告主張の損害は、原告が関係法令を十分検討しないまま独自の判断で請求手続をした結果であつて、被告の過失との間には因果関係はなく、原告自ら招いたものにすぎない。

第三証拠〈省略〉

理由

一  第一次却下処分の取消を求める原告の訴えが、被告主張のとおり行政事件訴訟法一四条に定める出訴期間を徒過しているため不適法であることは、本件記録によつて明らかである。よつて右訴えは却下を免れない。

二  被告は、第二次却下処分の取消を求める原告の訴えは行政事件訴訟法一三条に規定する関連請求にあたらない旨主張する。

しかし、第一、二次却下処分の取消を求める原告の二つの訴えの争点は、同じ性格を有する特別弔慰金につき、基準日は異にするがその他の点では同一の支給要件を定める新旧両支給法及びその引用する援護法の規定が、原告主張の全く同じ理由で憲法一四条一項に違反するものであるか否かという全く共通のものであつて、これらの訴えの併合審理には、審理の重複、裁判の牴触を避けうるなどの利点こそ見られるが、弊害はなきに等しいから、右の二つの訴えは、行政事件訴訟法一三条六号に規定する関連請求にあたると解される。よつて、被告の前記主張は理由がなく、原告の訴えの追加的変更は許容されるものというべきである。

三  請求の原因第一ないし第六項の事実は当事者間に争いがない。

そこで、原告の憲法違反の主張につき判断する。

原本の存在並びに成立につき争いがない甲第一号証の一ないし四、第二ないし第四号証の各一、二、第五号証の一ないし三、第六号証、乙第二〇号証、成立に争いがない乙第二、三号証並びに弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

従来、軍人、軍属を含めて全て公務員が公務により死亡したときは、恩給法による公務扶助料が遺族に支給されてきたところ、終戦後、連合軍は、戦争目的遂行に直接従事した者に対して従前のとおり恩給を認めることは、日本軍国主義の戦争行為をあたかも肯認するが如き結果となり、その占領目的の遂行の支障となるとの見地から、昭和二〇年一一月、連合軍司令部指令スキヤツプイン三三八号により軍人、軍属に対する恩給等の停止を命令し、その結果、昭和二一年勅令六八号、昭和二一年閣令四号により、軍人、軍属等に対する恩給、公務扶助料の支給は、一部の傷害関係や、昭和二一年閣令四号の一条各号に定める、戦争目的遂行に直接従事しなかつたいわば文官並みの者に対するそれを除き、一切停止された。当時は戦後の混乱期で国民生活は窮乏の極にあるうえ、一家の支柱を失つた戦没軍人、軍属の遺族は、恩給、公務扶助料の支給停止により、大変な生活問題を抱えるに至り、いろんな議論を生むことになつた。そこで、連合軍の日本占領の終了が近付くといちはやく、前記遺族等の生活の援護等をはかるべく、昭和二七年に援護法が制定され、軍人恩給の復活は、元の恩給法の規定をそのまま復活させてするのではなく、対応する文官恩給等との振合い、財政上の問題、各方面への影響等を考慮し、所要の改正を加えたうえで、恩給法の一部を改正する法律(昭和二八年法律第一五五号)によつてなされた。

その後、戦没者遺族の中でいわゆる祭し料を国に要求する動きがあり、国会議員にも、これら遺族の中で公務扶助料や援護法による遺族年金を一旦受給しながら成年によりその受給権を失うに至つた子その他の遺族に対し、応分の援護を更に続けることを提案する者があり、このような事情から、支給法及びその改正法(昭和五〇年法律第一〇号)が制定されるに至つた。以上の各法律についての国会における政府側の提案理由の説明は、おおむね次のとおりである。日華事変及び第二次大戦において、多くの軍人、軍属、準軍属が戦闘その他の公務等のため死亡したところ、これらの戦没犠牲者の肉親である遺族が、我が国の戦後における未曽有の繁栄を見るにつけ抱く痛哭の心情を、国としても考慮して、終戦後二〇周年及び三〇周年にあたり、弔慰の誠をひれきするため、祭し料に相当する金員を支給するものである。しかし、日華事変後の戦没軍人、軍属、準軍属の遺族の数は膨大なものであり、一方、国の財政にも限りがあるため、現に公務扶助料等の支給が行われている場合には、これによつて国は相応の処置をしているから、特別弔慰金は支給しないこととする。

これに対して、国会議員側からは、日華事変後の戦没者以外にも、原爆被害者など一般戦災者、外地における一般邦人、市長から防空本部長や救護班長を命じられて勤務中に死亡した者など戦没者に相当するような戦争犠牲者があり、広くいえば、戦時中は軍人、軍属、準軍属のみならず国民全部が一億総動員の体制で軍なり国への協力をしていたものであるから、広く戦争による犠牲者という観点に立つて、一般戦災者にまで救援措置を拡大し、社会保障制度全体を引き上げてこれとの関係で人道上政治上の措置をとるべきである旨の意見が主張された。

右について、政府側からは、被用者に対する事業主の責任に類似する国家補償の見地及び財政上の理由から、支給対象を軍人、軍属、準軍属の範囲に止めるべきであるとの答弁がなされ、このような審議を経て、支給法が成立した。

以上の事実を総合すると、原告主張のように多くの軍人、軍属殊に職業軍人は、戦地等に赴き酷烈な環境下で生命の危険にさらされながら戦争遂行に協力することを強制されたとはいえ、積極的に戦争を開始し遂行を推進した戦争責任者ともいうべきものであつて、たやすく戦争犠牲者とはいえず、見方によれば、むしろ原爆等で悲惨な死を遂げた非戦闘員の老人、婦女子などこそ最大の戦争犠牲者ということもできるのに、支給法はこのような職業軍人らをも等しく特別弔慰金支給の対象としており、原爆による死者は対象としていないところからすると、原告主張のように、支給法は、軍人、軍属等の戦没者自身をもつて最大の戦争犠牲者であるとの見地から遺族に弔慰の誠をひれきするものではなく、他にも戦争犠牲者はあるが、事業主の責任類似の国家補償の見地から、軍人、軍属、準軍属のみに特別弔慰金の支給対象を限定したものにすぎないと解すべきである。そして、もともと恩給法上の権利につき期待権を有していなかつた準軍属は除き、右期待権を有しており或いは現に軍人恩給の支給を受けていた軍人、軍属の遺族は、昭和二一年勅令六八号によりその軍人恩給を停止されたため、それ以来援護法による援護が開始され軍人恩給復活までの間の生活難の時代に恩給もなく塗炭の苦しみをなめていたものである。これに反し、同じ軍人、軍属の遺族であつても恩給停止の対象とならず、生活の苦難の程度が軽かつた者にとつては、肉親の戦没による苦痛の程度も少なく、また、前者ほどは戦没者に対する追慕の念が重く、かつ深くはなかつたものとみるのが一般であると解される。そこに、国として弔慰の誠をひれきすべき必要性の軽重があるのを認め、財政上の理由もあつて、恩給停止の対象とならなかつた遺族に対しては特別弔慰金を支給しないこととしたものと認められる。更に、軍人恩給の停止が与えた遺族に対する影響(それが原告主張のように現在既に回復されたとみることはできない。)の大きさを併せ考えると、国が軍人恩給停止の対象となつた遺族であるか否かによつて、特別弔慰金支給の有無を区別することは、社会通念上合理性があり、憲法の原則に違反するものではなく、国が自由に立法できる政策の範囲内に属する事柄であるといわなければならない。

してみると、援護法三四条四項及びこれを引用する新旧両支給法二、三条が憲法一四条一項に違反するとの原告の主張は理由がなく、第二次却下処分の取消請求は失当といわなければならない。

四  次に損害賠償の請求について判断するのに、成立に争いがない乙第四、五号証によれば、宝塚市は、その公報「広報たからづか」の昭和四七年一二月一五日号及び昭和四九年二月一五日号に、法律改正により特別弔慰金の支給範囲が拡大されたが、受給できる遺族は、かつて弔慰金の受給権を取得したことのある者であるなどの記事を掲載し、特に後者では、弔慰金の受給権者とは昭和一二年七月七日以降の傷病により、昭和一六年一二月八日以降に死亡した人の遺族であると除外例のあることを無視した記事があることが認められる。しかし、特別弔慰金の受給権者にできるだけその手続をさせることが眼目の広報活動において、弔慰金受給権者の例外規定などを詳細に明らかにすれば、却つて一般市民の理解を困難にし関心を薄くするのであり、前記乙号証によれば、前記各公報では担当部課及びその電話番号を示して詳細は問い合わせるよう注意する記事を前記記事に引き続いて掲載しているのであるから、戦没者の遺族のうち特別弔慰金を受け得ない者があることを明示しなかつたとしても、社会通念上不当もしくは違法ということはできないと解される。

また、原本の存在については当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨により原本の成立の真正が認められる乙第六ないし第八号証並びに弁論の全趣旨によれば、兵庫県においては、管内市町村の担当者や県の福祉事務所の担当者に対し、援護法や支給法の改正に伴う法律解釈や事務取扱に関し説明会及び研修会を開催し、その際「改正事項並びに手続要領」と題する解釈書を配布し、支給対象者の範囲の周知方につき十分意を用いてきたことが認められる。

以上の事実関係のもとでは、原告が主張するような過失はないと解するのが相当であり、したがつて、その余の点につき判断するまでもなく、原告の損害賠償の請求は失当といわなければならない。

五  以上のとおりであるから、原告の本訴請求中、第一次却下処分の取消を求める部分は却下し、その余の部分は棄却することとし訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 西内辰樹 野田殷稔 法常格)

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